RiTurban‘sサイト解析ブログ

本質とは何か?

2016年09月14日

最近「本質」という言葉をよく聞く。


ところで少々禅的に眺めてみると「本質なんてない」というのが本質だと、私はそう捉えている。

じゃぁなぜ本質なんていう言葉がしばしば使われるかというと、それは便利な言葉だからだと思われる。

■「そっちがより本質だ」と使われる場合

経験を重ねると今まで見えてきた世界がかわってみえて、具体的な言葉より抽象的な言葉がよりものごとを正確にあらわしているように感じることがある。

インターネットの世界でいえば「HTMLタグを上手に書くことがSEOだと思っていたけど、いやよく考えればGoogleに評価されることがSEOだね。そっちが本質だ」なんて使われる。

これは「Googleに評価されること」という抽象的概念が、HTMLタグを書くという方法論を包括しているともいえる。

■「本質的な答え」として使われる場合

これは、その人やグループの立場にとって、ある条件下における最適解を表す時に使われる気がする。

例えば、「今までは利益のために活動してきたが、我が社は顧客のために活動すべきだ。それがより本質的な答えだ」なんて使われるけど、これは単純にその企業が置かれた立場や経験がかわり、今求める答えが変わったということになる。

■「◯◯の本質」として使われる場合
これは◯◯を観察した人や◯◯を作った本人が、作られた意図もしくは作り終わった後に感じた正体という意味で使われることが多い。◯◯を一言で表すと、といった意味。

例えば「村上春樹の作品の本質は◯◯である」なんて批評なんかがそれ。
本人にとっては余計なお世話か、それも含めてエンターテーメントであろう。


どちらにせよ「本質」という言葉を使っている時は、その人の立場においてその瞬間イメージしている概念をより正確に表す言葉を見つけた時といえる。

で、この本質という言葉は便利である。

こっちの方がより正確だという意思表示にもなるし、本人やその言葉を聞いた人の視野を広げてくれる言葉でもあるからである。(まぁより包括的な概念を見つけたのだからそうなるのは必然でもある)

ところが私は便利だからといってこの本質という言葉を乱用しすぎるのは少々危険な気がしている。

なぜかというと、本質という言葉が様々なものを包括する抽象的概念に向かうとすると、求めた先にまっているのはおそらく「本質がないと知り愕然とする」という状態であり、これはまさに修行僧が山にこもってしまうような問題で、そんなことのせいでもし全員が山に篭ってしまったら大変だからである。

あとその人の視点によって本質的な答えはかわってしまうので、議論好きな人がいると本質論争なんかになってややこしいからである。

なので本質という言葉を使うよりは「確かにそっちの方がより正確だね」とか「今はそれが最善の答えだな」と時々はいった方がいいような気がする。

まぁそもそもでいうと、こんなことを考えている人こそやっかいな議論好きなのかもしれないし、そんなことで山に篭もる人はわずかだろうから、このエントリは単なる自分の備忘録っていうのがこの記事の本質である。